なぜ、潜象界などという不可知の世界を知る必要があるのか?
そもそも、五感の世界、物質の世界という現象界に生きている我々が、いまだその存在すら証明されていない「気」の世界である潜象界など、知る必要があるのだろうか、という疑問がある。
潜象界に興味を持ち、潜象界のことを学んでもなお、「潜象界などない」「そんなものは必要ない」と言い切る方もいる。
だが、本当にそうだろうか?
ここで太極図を思い出して欲しい。
陰と陽が対になっている太極図はこの世の成り立ちを表しているイメージ図である。
そこには必ず対になるものがあり、現象界の対になっているのが潜象界である。
物質の世界が陰(太極図の黒い部分)であるなら、気の世界は潜象界(太極図の白い部分)であろう。
それらは別々に存在しているのではなく、同時に2つが存在することで成り立っている。
だから、潜象界を学ぶということは、現象界を深く知ることにも繋がると考えられないだろうか。
潜象界など、感知できないのだから必要ないのだ、というのは乱暴すぎる結論だと思う。
もちろん、潜象界については存在も証明されておらず、当然その定義もなにもない。
だから感知できない人にとっては、あの世と同じくらい実感のない世界であろう。
しかし、「気が先んじて動き、物質世界にその現象が現れる」と言われており、太古の賢者たちも潜象界の存在を繰り返し説明している。
東洋医学においても「気は血の師」という言葉があり、気は潜象界、血は物質となった現象界、気は血の師(すい)として先んじて動くのだとされている。
そして、両者は振り子と同じように、同じだけのふり幅をもってバランスをとっているとも考えられる。
それはどういうことかというと、現象、物質に比重が傾けば傾くほど、気という潜象界の割合いも重要度を増していくのだと考えられる。
科学が先行して発展している現代において、同じだけのふり幅で潜象界の事を学び探求することは、バランスをとるという意味では必要不可欠のことであると思う。
そうでなければ、バランスがとれず、必ず世界は崩壊する。
つまりそれは、「陰極まって陽に転ず」という言葉どおりになると考えられられないだろうか。
いや、学ばざるを得ないという状態になるのだと考えている。
物質文明の現代において、潜象界は必ず学ぶべき領域であり、重要度はさらに増していくと思っている。
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