「楽」と「苦」は振り子のように


幸福度は振り子と同じ、不幸と交互に、また同様にやってくる

人はなぜ不幸になるのか?

 

では逆に人はなぜ幸せを感じるのか?

 

どちらの問いの答えも同じではないかと思うことがある。

 

不幸を感じるのは幸せな状態を知っているからで、逆に幸せを感じるのは不幸とはなにかを知っているからである。

 

そして幸せと不幸は振り子のように幸不幸を繰り返す。

 

 

 

 

 

幸せが大きければ大きいほど、その振り子のふり幅も大きくなり、より大きな不幸に見舞われることになります。

 

楽と苦も同じではないか

同様に、楽求めすぎると、それと同じだけの苦がまっているような気がする。

 

極論かもしれませんが、人間の不幸はどこから来るのかと言えば、人間の作り出した幸せからくるのだとも言える。

 

人がまだ原始生活を営んでいたころの不幸ってなんだろうと考えました。

 

日本の縄文時代には戦争がなかったそうですね。

 

武器らしい武器もなく、大きな争いごとは無かったであろうことが考古学者の間での定説になっている。

 

その当時の不幸は病気と怪我くらいだろうか。

 

それとも人間関係で悩んだであろうか。

 

人の社会が進み、大きな集団になってくると、生産性もあがり、物が増え、生活も豊になってくる。

 

だが、その集団生活は人どうしの歪を生み、戦争という究極の消耗戦をつくりだした。

 

人が人を殺戮する不幸が生まれたのだ。

 

さらに科学文明が進み火薬が発明される。

 

それは人類に工事の規模拡大という幸福ももたらしたが、世界大戦という不幸も同時にもたらした。

 

そして現代、原子力による爆弾の恐怖が常に日常のそばにあり、また原子力発電所の事故は、本来なかったはずの不幸をもたらし人々から故郷を奪ったのです。

 

それも豊な生活、幸福を維持するため。

 

このまま社会が進み、文明が進んでいくとどうなるのでしょうか。

 

私には振り子のように幸福へのふり幅が大きくなればなるほど、大きな不幸の種を作っているような気がしてならない。

 

私は文明の究極は人類の絶滅につながるのではないかと思っています。

 

考えすぎだと多くの人は言う、人類は世界大戦という人類同士の戦争を克服しつつあるし、科学が進めばエネルギー問題も改善する。そうすれば環境問題も解決され、人類はさらに繁栄するのだ、と。

 

本当にそうでしょうか。

 

あなたも心の奥に漠然とした不安を持ってはいませんか?

 

 

陰陽理論

 

 

こんな図を見たことありますでしょうか。

 

太極図、陰陽図、天地自然の図など、いろいろな名称で呼ばれていますが、白は陽を表し、黒は陰を表し、陰陽は二つで一体であるという図だ。

 

これもさまざまな説明、解釈がなされているが、もっとも単純に理解するならば、陰陽の二極が必ず存在するのが常であるということだ。

 

昼と夜、男と女といった単純なものもそうだが、幸と不幸も同じだと思う。

 

そして、その大きさは常に相対的に同じ大きさとなる。

 

つまり、幸せが大きければ大きいほど、不幸の度合いも大きくなる。

 

便利さが大きくなればなるほど、不自由さも増していく。

 

そして、自由度が高くなればなるほど、息苦しさも増していくのだ。


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