思考と潜象界


よく願望実現の方法として願えばかなうとか、紙に書きだすとかなうとかいう成功本があるが、そんな簡単な話なんだろうかと思う。

 

思考する、理屈・理論的に考えるというのは現象界での活動だと思う。

 

とするならば、考えてだした結論というのは現象界的な答えということになる。

 

なら、理屈どおりなら、かなうだろうし、理屈に合わなければ、かなわない。

 

あくまで現実的に理にかなうかどうか、それが基本的な判断基準となる。

 

つまり、どんなに願っても理に合わなければ実現しない。

 

その理に合っているかどうかの判断は潜象界的な判断のほうが優れているのではないだろうか。

 

潜象界的な判断とはなにか?

 

これは「思考」という行為を極限にまで減らし、感じるままに答えを出す方法。

 

私が参考にしている桜井章一氏の著書の言葉によるなら、「考えるな、瞬間に判断せよ」ということになる。

 

そこには「思考」は入らない。

 

桜井章一氏とは雀鬼会を主催をする麻雀の会の会長であるが、では麻雀の牌を切るのに、本当になにも考えずに切っているのかというと、そうではないだろう。

 

当然、麻雀の基本ルール、戦術は頭に入ったうえで、瞬間に判断すると言われているのだ。

 

そこには当然「意念」という意識の投入は必要であろうし、まったくなにも「考え」がないわけではないのだろう。

 

私は、そこで極限まで減らすのは思考の中に入り込む「欲得」のことだと思っている。

 

それに囚われると、思考そのものの判断を狂わせる。

 

考えすぎると、どうしても不安、恐怖、イメージからくる妄想や誤った解釈など、さまざまな障害物が表れてくる。

 

そうして、どんどん正しい理にかなった答えから遠ざかっていくのだと思う。

 

そういう意味で「考えるな、瞬間に判断せよ」と桜井氏は言われているのだと思っている。

 

さて、潜象界的な答えを出すにも、それに必要な基礎知識、もしくは技術は必要だろう。

 

また、答えをだそうという意志も必要になってくる。

 

思考を現象界のものとし、考える行為を減らすといっても、それら最低限のものがなければ、どうにもならない。

 

そのうえで、減らすのは「私」である。

 

それが「欲得」というもの。

 

不必要なイメージや不安や恐怖といったもの。

 

そうした「私」というものを減らすための技術が座禅などに残されている身体操作技術なのではないか。

 

それは潜象界に近づくための技術であるとも言える。


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